大分県実感レポート動画実感レポート動画ウェブで公開中!アミスター20フロアブル豊後高田市は、江戸時代と昭和時代に海を埋め立てて造成された干拓地。海のミネラルをたっぷりと含んだ水はけの良い砂地土壌と温暖な気候に恵まれ、古くから白ねぎの栽培が行われてきました。その歴史について、大分白ねぎ連絡協議会の井上智彦会長が説明してくださいました。「昭和の初めころまで、この地域はかんしょや麦の栽培が盛んでしたが、昭和30年中ごろから白ねぎの栽培が始まったといわれています。豊後高田は白ねぎの栽 5培には非常に適しており、当初から〝味がいい〟と市場からも評判でした」。砂地土壌は栽培面でも有利に働きました。粘土質の土壌に比べて土上げが楽なため、他の地域に先駆けて普及。その産地拡大に拍車をかけたのが機械化です。昭和40年代に入り皮むき機が登場し、生産量が飛躍的に伸びたのだとか。「それまでは手でむいていたので、夫婦2人で頑張って作業しても1日に15箱から20箱がいいところ。皮むき作業が追いつかないので、つくりたくてもつくれないという状況だったんです。皮むき機が出てきてからは、まさに爆発的に面積が拡大しました。秋冬ねぎの指定産地になったのもそのころですね」。さらに、平成10年ごろには掘り取り機が登場。生産者の労力はさらに低減され、1人当たりの経営面積もさらに広がりました。現在、白ねぎの栽培面積は370ha、生産者数は130戸以上におよぶ大分県。機械化の恩恵もあり、1人で白ねぎを5ha以上経営する生産者も珍しくなく、なかには30haもの圃場を切り盛りする経営者もいるとのことです。消費者にとっては、今も昔も豊後高田市の白ねぎは〝味がいい〟ことが最大の魅力。旬の厳冬期には12度というねぎとしては異例の糖度に達します。販売には苦労しないものの、豊後高田市=白ねぎのPRには余念がありません。その取り組みについて井上会長にお聞きしました。「大分白ねぎ連絡協議会では毎年11月上旬に白ねぎの旬入り宣言をして、福岡、大阪、京都、広島、山口といった販路へアピールしているほか、試食会での食べ方の提案や白ねぎの無料配布など恵まれた環境が生んだ西日本一のねぎの産地農作業の機械化により栽培面積が爆発的に拡大これからも安全・安心かつ高品質な白ねぎをね水ぎ稲右からJAおおいた北部事業部営農部の鴛海博之さん、同JA経済部の木下 誠さん、大分白ねぎ連絡協議会の井上智彦会長、JA全農おおいた園芸部の阿南孝造さん収穫した白ねぎは予冷庫で厳重に保管し品質を保つ昭和42年に国の指定産地になり、ねぎ類で西日本最大の産地となっている大分県。なかでも豊後高田市は最大の産地としてその名を知られています。その人気の秘密と成長の歩みについて、大分白ねぎ連絡協議会の井上智彦会長、ならびにJAおおいたの皆さんに伺いました。糖糖度度1212度度のの豊豊かかなな甘甘みみ。。JJAAおおおおいいたたのの「「白白ねねぎぎ」」ミミネネララルル豊豊富富なな土土壌壌がが育育むむ
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