H0491_みちくさプレス84号_
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市田柿の栽培の歴史は500年以上と言われており、江戸時代には徳川の将軍に献上されていたのだとか。現在の長野県下伊那郡高森町の市田地域で栽培されていた渋柿の品種名が市田柿であり、大正10年には、周辺地域で呼び名がバラバラだったこの渋柿を干したものを『市田柿』というブランドで統一し、今に至っているそうです。市田柿の特徴・セールスポイントについて、JAみなみ信州柿部会の常盤昌昭部会長に伺いました。「上品な甘さと、もっちりとしたジューシーな食感が楽しめ、ビタミンやポリフェノールなどの栄養素を豊富に含んだヘルシーフードとしても話題です。良品の原料柿栽培も重要ですが、収穫してからの加工工程にも手間暇がかかる上質な嗜好品です」。市田柿の収穫は10月下旬〜11月中旬にかけて。管内の各生産者は、収穫後に全自動皮むき機で皮をむいて、のれん状に吊るして約1ヵ月ほど乾燥させます。この柿が吊るされている状態は「柿のれん」と呼ばれており、紅葉のシーズンになると管内のあちこちで柿のれんが見られるそうです。その後、ドラム式の柿もみ機で柿もみを行いますが、この工程には微妙な調整が必要で生産者の技量が問われるのだとか。「3〜7日の間に3〜4回程度、柿もみを行うのですが、これは柿の中心部の水分を出して、シワのないやわらかい干し柿に仕上げるのが目的で、この作業を丁寧に行うことで柿の表面がブドウ糖の白い粉で均一に覆われた市田柿に仕上がるんです」と説明くださったのは、JAみなみ信州営農部柿課で女性ならではの感性を活かして活躍する福田萌さんです。完成した市田柿は、各生産者が化粧箱やトレーに包装作業を行い、JA集荷場に。そこで検品が行われた後、全国へ出荷されています。JA管内では生産者の高齢化や人手不足などを背景に、皮むきや乾燥、柿もみといった工程をこなすことができず、市田柿の生産を引退する生産者が増える傾向にあるのだとか。こうした課題を解消するために、同JAでは、皮むきや乾燥、柿もみなどの加工場である「市田柿工房」の開設や、生産者の園地を借り受けて栽培管理作業を代行する子会社「市田柿本圃ぷらう」を設立しました。JAみなみ信州営農部果実課の羽生弘之課長はこう言います。「これらの施設は生産者の受け皿として、管内の生産力を維持していくのが設立の目的です。また、市田柿本圃ぷらうでは、市田柿だけではなく、新しい加工商品の開発や新規就農者への研修も実施しており、管内農業全体のサポートを行っています」。         長野県江戸時代から続く、上品な甘さとジューシーな食感収穫後の加工工程にも技量が問われるJAの施設で、市田柿の労働力不足をサポートか水き稲市田柿のパッケージには地理的表示(GI)マークも表示柿のれんで市田柿を乾燥させる17長野県の南部に位置する飯田下伊那地域を管内とするJAみなみ信州。江戸時代から続くと言われる『市田柿』はいまや地理的表示保護制度に登録され、全国にその名が響くブランドになりました。同JA柿部会員は2000名を超え、250haの面積で市田柿が生産されています。近年では海外輸出、日本農業賞大賞受賞、新工場建設と話題に事欠かないブランド「市田柿」。今回はその取り組みをご紹介します。ブブラランンドド力力向向上上をを図図るる「「市市田田柿柿」。」。加加工工場場増増設設、、海海外外輸輸出出ななどど今今年年のの日日本本農農業業賞賞大大賞賞をを受受賞賞。。

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